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カルビーポテトチップスの誕生秘話:企業理念が生んだ国民的スナック

作成者: Hiroki Teruya|25/05/14 0:18

日本人の食卓に欠かせないカルビーポテトチップスの誕生背景には、創業者の強い理念と革新的なマーケティング戦略がありました。未利用資源の活用という哲学から生まれ、常識を覆すパッケージング革命を起こした国民的スナックの知られざるストーリーに迫ります。

日常に溶け込んだブランドの裏側

コンビニやスーパーで何気なく手に取るお菓子。特にポテトチップスを選ぶとき、あなたはどんな基準で選んでいますか?味でしょうか、それともパッケージの見た目でしょうか。しかし、その何気ない選択の裏には、実は知られざる壮大なストーリーが隠されていることがあります。

今回は、日本のポテトチップス市場で約7割のシェアを誇る「カルビーポテトチップス」に焦点を当て、その誕生から成功に至るまでの背景を探ってみたいと思います。このブランドの成功は単なる偶然ではなく、創業者の強い理念とマーケティングの革新的アプローチの産物だったのです。

この記事は2025年5月14日にポッドキャストで配信した音声をベースに作成しています。ポッドキャストも合わせてお聞きください。

 

カルビーの名前の由来と創業理念

まず、「カルビー」という社名の由来をご存知でしょうか?この名前は「カルシウム」の「カル」と「ビタミンB1」の「ビー」を組み合わせた造語です。

これには深い理由があります。創業者の松尾孝氏が事業を始めた戦後間もない時期、日本は食糧不足に悩まされ、ビタミンB1の不足による栄養失調が社会問題となっていました。栄養学の専門家からカルシウム摂取の重要性も聞いた松尾氏は、「人々の健康に役立つ食品を作りたい」という思いを社名に込めたのです。

広島出身の松尾氏は、もともと家業で肥料や工業用米ぬかなどの製造販売を行っていました。18歳という若さで父親の怪我により家業を継ぐことになった彼は、戦中・戦後の食糧難の時代に、食品研究に取り組み、不足する米や麦の代用食を開発・販売するようになりました。

「未利用資源の活用」という哲学

松尾氏がカルビーの礎として大切にしていた考え方に「未利用資源の活用」があります。最初に作ったお菓子は、米ぬかに含まれる胚芽(ビタミンB1が豊富)と野草を混ぜた団子でした。米ぬかが入手できなくなると、今度はさつまいもの澱粉を取った後に残る繊維を使って代用食を作るなど、常に「捨てられるはずだった資源」に価値を見出してきました。

戦後、食料不足が解消されると、カルビーはキャラメルを製造するようになります。意外かもしれませんが、「カルビーキャラメル」が同社の初期の主力商品だったのです。

ポテトチップス誕生の背景

カルビーがポテトチップスを開発する前に、まず「かっぱえびせん」を生み出しました。このかっぱえびせんのプロモーションでアメリカを訪れた際、松尾氏は大量のポテトチップスが食べられている光景を目の当たりにします。これが、日本でのポテトチップス製造への関心を高めるきっかけとなりました。

しかし、本格的な製造に踏み切ったのは別の理由からでした。1968年に北海道を訪れた際、松尾氏は当時の副知事からジャガイモの生産実情を聞きます。当時、北海道で生産されたジャガイモの半分以上は澱粉のみが取られ、残りは飼料になってしまっていたのです。

アメリカのように澱粉原料以外のジャガイモ加工食品を作ってほしいという要請を受け、松尾氏は「未利用資源の活用」という自らの理念に沿って、ポテトチップス製造に着手することを決意しました。

価格設定の革新

1975年、カルビーは「ポテトチップス うすしお味」を発売します。当時の市場では、他社のポテトチップスは1袋120円〜150円で販売されていましたが、カルビーは内容量90gで100円という価格設定を行いました。

社内からは「安すぎる」「低価格では利益が出ない」との反対の声も上がりましたが、松尾氏は「低価格でも販売数を伸ばせば利益は出る」と主張し、この価格設定を押し通しました。

マーケティングの成功

価格戦略に加え、カルビーは広告展開でも成功を収めます。発売翌年の1976年、当時わずか14歳だったタレントの藤谷美和子さんを起用したテレビCMを放映。「100円でカルビーポテトチップス買えますが、カルビーポテトチップスで100円は買えません。あしからず」というキャッチフレーズが評判となり、一気に認知度が上がりました。

 

これによりカルビーはポテトチップス市場でシェアトップのブランドに躍り出ることに成功したのです。

パッケージングの革命

カルビーのもう一つの革新的な取り組みがパッケージングでした。1975年の発売当初、ポテトチップスは透明フィルムの袋に入れられていました。当時は「中身が見えないお菓子は売れない」というのが業界の常識でした。

しかし、お客様から「油が酸化した匂いがする」「ポテトチップスを買うと同じ袋に入れている他の商品に匂いがついてしまう」などの声が寄せられます。これを受け、松尾氏は1983年に業界で初めて「中身の見えないアルミ蒸着フィルム」を採用する決断をします。

「中身が見えないものは売れない」という小売業の常識に反し、しかもコストが大幅に上がるにもかかわらず、「お客様においしいものを届けたい」という思いでこの革新を進めました。

アルミ蒸着フィルムによって、スナック菓子の大敵である「光・酸素・水」の侵入を大幅に防ぐことができるようになり、品質は格段に向上。売上も上がり、ポテトチップスはカルビーの主力ブランドへと成長し、アルミ蒸着フィルムは業界のスタンダードとなっていきました。

フレーバー展開でブランドを強化

ポテトチップスは製造工程がシンプルなため、他社商品との差別化が難しいという課題がありました。そこでカルビーは発売直後から多様なフレーバー開発に力を注ぎます。1976年には「のりしお」、1978年には爆発的なヒットとなった「コンソメパンチ」を発売し、ラインナップを充実させていきました。

これらの人気フレーバーは、今や日本の食文化の一部となっていると言っても過言ではないでしょう。

ブランディングの教訓

カルビーポテトチップスの成功ストーリーから、ビジネスとブランディングにおける重要な教訓が見えてきます。

  1. 強い企業理念: 松尾氏の「未利用資源の活用」と「人々の健康に役立つ食品づくり」という理念が、製品開発の原動力となりました。
  2. 革新的な価格戦略: 市場相場より安い価格設定で、シェア獲得を優先する戦略が功を奏しました。
  3. 印象的な広告: 分かりやすいキャッチフレーズと若い力を活用したCMによる認知度拡大が成功を後押ししました。
  4. 顧客フィードバックの重視: 「中身が見えないとお菓子は売れない」という業界常識より、顧客からの声を重視した製品改善に注力しました。
  5. 品質へのこだわり: コストアップしてもアルミ蒸着フィルムを導入するなど、品質を最優先する姿勢がブランド価値を高めました。

日常に隠れたストーリー

私たちが日常何気なく口にしているポテトチップスの裏側には、こうした創業者の熱い思いやマーケティングの革新、そして何より「お客様においしいものを届けたい」という真摯な姿勢がありました。

コンビニで「今日は何味にしようかな」と選ぶとき、そこには先人たちの苦労と情熱が詰まっていることを思い出してみてはいかがでしょうか。私たち自身も、未来の誰かのために何か価値あるものを残せているだろうか、と考えるきっかけになるかもしれません。

カルビーポテトチップスの物語は、単なる製品の誕生秘話を超えて、強い理念とブランディング戦略がいかに長期的な成功へとつながるかを教えてくれる、マーケティングの教科書とも言える事例なのです。