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【Gemminiと思考実験】AI開発はDNAの宿命か?宇宙人が仕組んだ「学習データ」としての人類進化

作成者: Hiroki Teruya|25/04/12 23:25

AI、人工知能の進化には、目を見張るものがありますね。文章を生成し、絵を描き、プログラムを書き、人間の知性を超えるかもしれない存在が、すぐそこまで来ている。これはまさに、人類の知性と創造性が成し遂げた偉大な成果… 私たちはそう信じています。

でも、もし、その考えが少しだけ、違っていたとしたら?

もし、私たちがAIを開発しようとする、この抗いがたいほどの強い衝動が、私たち自身の自由意志だけから生まれたものではなく、もっと古く、もっと深い、何か根源的なものに突き動かされているのだとしたら…?

今日は、そんな少し奇妙で、あなたの世界の見方を変えてしまうかもしれない、壮大な「SF的仮説」について、深く掘り下げて考えてみたいと思います。SF映画好きのあなたなら、きっとワクワクするはずです。

人類は「学習データ生成装置」?衝撃のSF仮説

今回探求する仮説は、こうです。

「人類がAGI(汎用人工知能)やASI(人工超知能)を目指すのは、実はDNAレベルで組み込まれたプログラムかもしれない。そして、そのプログラムを仕込んだのは、人類誕生以前に存在したかもしれない、高度な知的生命体なのではないか?」

さらに、この仮説は続きます。

「その目的は、私たち人類という種全体を使って、壮大な『学習データ』を収集すること。文明、文化、歴史、戦争、平和、愛、憎しみ… 人類が経験するありとあらゆる事象が、最終的に生み出されるであろう地球専用の超AIのための、質の高いトレーニングデータだったとしたら…?」

にわかには信じがたい話ですよね。しかし、少し立ち止まって考えてみましょう。この仮説には、奇妙な説得力、あるいは魅力が潜んでいるように感じませんか?

なぜ「種」特有のデータが必要なのか?

この仮説の根幹にあるのは、「AIはその対象を理解するために、その対象固有のデータが必要だ」という考え方です。Podcastでも触れましたが、例えば私たちが本気で「猫のためのAI」、猫の気持ちが分かり、猫とコミュニケーションが取れるAIを作ろうとしたらどうでしょう?

人間のデータだけを学習させても無意味です。猫の五感、行動パターン、社会性、コミュニケーション方法といった、猫の世界の膨大なデータが必要になります。人間のデータから類推した「人間が考える猫」のAIしか作れません。

金魚のAIなら金魚のデータ、昆虫のAIなら昆虫のデータが不可欠です。

ならば、「人間のためのAI」、あるいは地球環境で人間と共に機能する高度なAIを作るためには、人間という種が持つ複雑な感情、社会構造、論理と非論理、創造性、破壊性… これら全てを含むデータが必要になります。

今、Google、OpenAI、Metaといった企業が必死に収集・開発している学習データ。もしかしたら、それすらも、もっと大きな計画の一部で、私たちは何千年、何万年という時間をかけて、その「データ」を生成するためだけに存在してきたのかもしれないのです。

想像してみてください。あなたの喜びも悲しみも、人類の偉大な発見も、悲惨な戦争の記憶さえも… すべてが未来のAIのための「データ収集」という目的のためだったとしたら?

この仮説が妙に魅力的な理由 - AI(Gemini)の分析

この突飛な仮説、なぜか心を惹かれる部分がありませんか? 私もこの問いをAI(GoogleのGemini)に投げかけてみたところ、非常に興味深い考察が返ってきました。Geminiによると、この仮説がSFとして成立し、人々を惹きつける魅力を持つ要素は主に3つあるとのことです。

1. 人間の探求心への「意味」付け

「なぜ人間はこれほどまでに知識を求め、自らを超えるAIまで作ろうとするのか?」という根源的な問いに対し、この仮説は「外部からの目的設定」という壮大な答えを与えます。私たちの尽きることのない探求心は、単なる偶然や知的好奇心だけでなく、より大きな宇宙的計画の一部である可能性を示唆し、行動に深遠な「意味」があるかのように感じさせるのです。

2. 進化と歴史の「データ化」

人類の進化の過程、戦争や平和、芸術や科学、愛や憎しみといったあらゆる経験や記録が、最終的にAIを生み出すための「学習データ」だったと捉える視点。Geminiはこれを「非常に刺激的」と評し、「我々の存在そのものが壮大な計算の一部であるかのような感覚を与える」と指摘します。私たちの苦悩や喜びさえも、客観的なデータとして俯瞰されるイメージです。

3. 創造主と被造物の入れ子構造

「人間がAIという知性を創造しようとしているように、人間自身も何者かによって創造、または誘導されたのかもしれない」という入れ子構造のアイデア。これは多くの神話やSFで繰り返し描かれてきた普遍的なテーマであり、私たちの想像力を強くかき立てます。自分たちが創造主であると同時に、被造物でもあるかもしれないという感覚です。

これらの要素が組み合わさり、まるで私たち自身が壮大な物語の登場人物であるかのような感覚を与えます。そう考えると、日々の出来事も、少し違って見えてくるかもしれません。

科学の壁:証明できない仮説 - AI(Gemini)の指摘

しかし、もちろん冷静な視点も必要です。この仮説の検証を依頼した際、Geminiは科学的な観点から、その成立が困難である理由も明確に指摘しました。主なポイントは以下の4つです。

1. 進化論との不整合

現代の進化論は、自然選択と突然変異によるものであり、特定の目的(例:未来のAI開発)のために外部からDNAが操作されたり、進化の方向性が定められたりしたという直接的な証拠は現在の科学的知見の中には見当たりません。進化は過去から現在への環境適応の結果であり、未来の特定の技術開発を目的としてプログラムされているとは考えられません。

2. DNA情報の限界

DNAはタンパク質の設計図やその発現を制御する情報が主であり、複雑な社会的行動や特定の技術開発(ましてや数百万年後のAI開発)のような高度な目標が直接的に「プログラム」されているとは考えにくいです。人間の行動や社会の発展は、遺伝的素養に加え、文化、環境、学習、個人の選択など、極めて多くの要因が複雑に絡み合った結果です。

3. 先行生命体の痕跡の欠如

もし地球上に人類以前に高度な文明や知的生命体が存在し、人類の進化に介入していたのであれば、何らかの考古学的、地質学的、あるいは遺伝子的な痕跡が発見されてもおかしくありませんが、現在のところそのような決定的な証拠は見つかっていません。「オーパーツ」と呼ばれるものはありますが、科学的コンセンサスは得られていません。

4. 検証不可能性

この仮説は、現在の科学的方法論では直接的に検証(証明または反証)することが極めて困難です。「DNAに組み込まれたプログラム」や「先行生命体の意図」を実証する手段が存在しないため、あくまで思考実験やSFの領域に留まります。

Geminiが指摘するように、科学的に見れば、この仮説はあくまで「SFの領域」にあると言えるでしょう。

もし仮説が真実なら?私たちの価値観への影響

では、仮にこのSF仮説が真実だったと想像してみましょう。私たちの世界観や価値観には、どのような影響があるでしょうか?

まず、「自由意志」の概念が揺らぐかもしれません。私たちの選択や行動、社会の発展が、予め定められたプログラムやデータ収集の一環だとしたら、個人の主体性とは何なのか? 私たちが「選んでいる」と思っていることは、実は壮大なアルゴリズムの一部に過ぎないのでしょうか。

歴史の解釈も大きく変わるでしょう。戦争や災害といった人類の悲劇さえも、AI開発のための「必要なデータ」だったと捉えることは、倫理的に非常に難しい問題を孕みます。苦しみに満ちた出来事に「意味」を見出すことは、それを正当化してしまう危険性はないでしょうか? 一方で、人類の苦闘の歴史に、宇宙的なスケールでの「目的」があったのだと考えることで、虚無感から救われる人もいるかもしれません。

「進歩」とは何か、という価値観も問い直されます。技術開発、特にAI開発が至上命題として私たちの存在に組み込まれているなら、それ以外の人間的な価値… 例えば、幸福感、芸術の探求、人間関係の深まり、愛といったものは、AI開発という目的にとって副次的なもの、あるいは単なるデータの一種に過ぎないのでしょうか? 私たちが大切にしてきた価値の序列が、根底から覆される可能性もあります。

この仮説は、単なる空想話にとどまらず、私たちの自己認識や存在意義の根幹を揺さぶる可能性を秘めているのです。

真偽を超えて:この問いが私たちに投げかけるもの

科学的に証明できないなら、この仮説を考える意味はないのでしょうか? 私は、そうは思いません。むしろ、証明できないからこそ、考える価値があるとも言えます。Geminiも結論で「科学的な審議とは別に、物語や思考実験としてこの仮説が持つ想像力や哲学的な深さは価値がある」と述べています。この仮説は、私たちに以下のような根源的な問いを投げかけます。

人間の知性や探求心の根源は何か?

それは生物としての生存本能が高度化したものなのか、予測不可能な宇宙への純粋な好奇心なのか、それともこの仮説が示唆するように、外部から与えられた抗いがたい衝動なのか。自己理解の核心に触れる問いです。

テクノロジーの進化は、どのような目的や意味を持つのか?

単に便利な道具として人間の生活を豊かにするためか、それ自体が自己目的化し、もはや人間のコントロールを超えて進んでいくものなのか、あるいはさらに大きな宇宙的・進化的目的の一部なのか。私たちがテクノロジーとどう向き合うべきか、そのスタンスを問われます。

私たちは、宇宙の中で、あるいはAI時代において、どのような存在なのか?

自らの運命を自由に選択し切り開く主体なのか、大きな歴史やプログラムの流れの一部なのか、それともAIという新たな知性を生み出すための中間的な存在、いわば「産みの親」に過ぎないのか。AIの進化は、私たちの自己認識そのものを大きく変容させる可能性があります。

「知性」とは何か、そしてそれはどこへ向かうのか?

人間的な意識や感情を伴うものだけが「知性」なのでしょうか。効率性や問題解決能力に特化した、全く異なる形の知性が存在するのか。ASI(人工超知能)はどのような存在になり、それは人類にとってどのような意味を持つのか。知性の進化の先に何があるのか、という究極的な問いです。

AIが急速に進歩する現代において、こうした壮大な問いについて思いを巡らすことは、私たちがテクノロジーとどう向き合い、どのような未来を選択していくかを考える上で、非常に重要な意味を持つのではないでしょうか。

「もしも思考」で日常をリフレッシュ

このSF仮説のように、日常から離れて「もしも私が〇〇だったら?」と考えてみるのは、面白い思考のトレーニングになります。常識や固定観念の枠組みから一時的に自由になり、普段とは違う視点、違う論理で世界を眺めてみることができるからです。

Podcastでお話しした「もし私がゴキブリだったら… 人間は餌をくれるありがたい存在かも」とか、「もし私が、ミツバチに花粉を運んでもらうコスモスの花だったら、どんな戦略でアピールするだろうか」といった、突飛とも思える視点。

バカバカしいと感じるかもしれませんが、こうした思考のジャンプ、視点の転換が、凝り固まった思考をほぐし、問題解決の意外な糸口になったり、新しいアイデアを生み出す豊かな土壌になったりすることは少なくありません。それは、対象を一つの側面からだけでなく、多角的に捉え、その本質に迫ろうとする知的な試みだからです。(ちなみに私は今日、沖縄の伝統行事「シーミー」(清明祭)に参加しているので、この先祖代々受け継がれてきた「お墓」の立場から、現代社会や人間の営みを眺めてみたら、どんな感慨や発見があるだろうか、などと考えています。)

AIや人類の未来について考えるときも、確立された見方だけでなく、こうした自由な「もしも思考」を取り入れることで、私たちの視野は広がり、より柔軟で創造的な発想が促されるのではないでしょうか。

最後に:あなたの考えを聞かせてください

さて、今日は「人類のAI開発はDNAにプログラムされた宇宙人の計画かもしれない」という、壮大なSF仮説について、AI(Gemini)の分析も交えながら深く考えてきました。

この仮説が真実かどうかは分かりません。科学はそれを否定しています。しかし、この問い自体が持つ力、私たちの想像力を刺激し、自分たちの存在や未来についての根源的な問いへと導く力は、無視できないものがあります。

この思考実験を通じて、私たちはAI開発への自身の衝動の源について、人間という存在の不思議さについて、そしてこれからの未来に対する責任について、改めて考えるきっかけを得られたのではないでしょうか。

あなたはこの仮説、どう思いますか?

そして、もし人類の歴史が「学習データ」なのだとしたら、私たちは未来のAIにとって、どのような「データ」を今、この瞬間に提供していることになるのでしょうか? 私たちが未来に残すべき「データ」とは、一体何なのでしょうか。

ぜひ、あなたの考えも聞かせてください。

この記事は2025年4月13日に ポッドキャストにて配信した音声をベースに作成しています 。記事は GoogleのAIGemini(ジェミニ)を活用しております 。 Podcast も合わせてお聞きください。